気くばり美人は愛され美人であると前回のブログでお伝えしました。
では気くばりができて愛されるとどんないいことがあるのかについて今日はお話したいと思います。
宝塚歌劇団出身は就職に有利
私は宝塚歌劇団を退団してからまず就職活動で苦労したことがあまりありません。
派遣のお仕事は経験とスキルがあってこそ認められる立場なので経験もスキルもない私にはできるお仕事はありませんでした。
ところが、正社員で採用していただく際はその会社の人事の方にもよりますが、企業理念・社風・社長のご意向から伸びしろと人間性をみていただき採用されることがほとんどでした。
宝塚歌劇団を退団し留学・帰国、そしてアルバイトからカフェ経営といろんなことをした結果、ハローワークで仕事を探したときのことでした。
私に何ができるのかな?と考えたときに
・誰かのためにお世話役ができるかも?
・気くばりができるかも?
・秘書とか向いているかも?
と何とも簡単な理由で応募してみたのでした。
会社からすると、宝塚歌劇団出身の人と会ったのは初めてということでしたが、それはそうだと思います。
元タカラジェンヌはだいたいがダンスや歌・舞台関係のお仕事に就く人のほうが多いですからね。
でも私は実はパソコンをカタカタ打ってスーツをばしっと着こなすお仕事にもあこがれていたのです。
本当は外資系の企業で英語ペラペラに話すことが夢だったのですが、留学したものの英語力もが圧倒的に足りず断念。
英語を使った仕事に就きたいと思っていた私に立ちはだかった壁は、
「英語で何ができますか?」でした。
ここで英語はツールであり、目的ではないことに気付きました。
またこのあたりのお話は別の機会に。
もちろん、客室乗務員にもあこがれました。
実際にエントリーシートも出したことがあります。宝塚の上級生も客室乗務員になった方もいらっしゃいました。
不動産会社の秘書のお仕事があっさり決まり、家族や友人に報告したところ、
秘書未経験で社会人もほぼ未経験なのにお給料もいい秘書、しかも不動産・・・。
父はものすごく心配し、そんなおいしい話はないから騙されているのではないか?としばらく気にしていましたが、せっかく受かったし行っておかしかったらやめればいいかなぐらいに軽く考え、内定をお受けすることにしました。
チャレンジしてみなければわからない。
父の心配もよそに私は早速行ってみることにしました。
宝塚歌劇団での教えを胸に秘書業務に挑戦
実はこの不動産の社長の方針は“秘書経験のない秘書”が欲しかったのです。
運よくタイミングよく私はこの会社に採用されることになりました。
社長はとっても厳しい方で、その当時よくあるワンマン社長でした。
昔CMで社長がゴルフボールを打ったら社員全員がコートを持って走る、そんなイメージです。
ただし、社長はゴルフがとってもお得意でしたが。
秘書は私を含め6名。
社長付きが3名そして他の部署にそれぞれ3人秘書がいました。
私は最初、社長室の3名の一人に入れていただき、のちに異動します。
社長秘書の先輩に教わり、雑用から始めます。
毎日社長室には怒鳴り声が響いていてドキドキしていましたが、私たち秘書は怒鳴られる要素はありませんので、会社というところは大変だな・・・と他人事のように感じていた覚えがあります。
ある日、電話の取次ぎができるようになり、お客様から社長あての電話が来たので社長に取り次ぎました。
ところが保留しているボタンを伝え間違え、営業部にかかってきていた電話を社長に取り次いでしまったのです。
社長が保留ボタンを押してお電話に出られた後、なんだか様子がおかしい。
背筋が凍りました!
間違えて電話を取り次いでしまった・・・
社長が愛想よく「少々おまちください」と保留しなおされたとたんです。
「どこつないでるんや!違うやないか!」
電話機が本体ごと飛んできて地面に落ちました。
30歳を過ぎているとは言え新人です。
通常であればどうしていいかわからないかもしれませんが、私はすぐさま冷静に電話と受話器を拾い上げ、
申し訳ございませんでした。2番でお願いいたします。
と再度電話に出てもらうことにしました。
先方はお電話を保留されたままお待ちです。一刻も早くおつなぎしないと相手に失礼です。
こちらで起こった失態などは先方には関係ありません。
必死で電話に出てもらおうと眼力で戦いました。笑
というのは大げさですが。
でも社長に目で訴え電話に出ていただくことができました。
お電話のあと謝罪する間もなく出ていかれましたが、エレベーター前まで走り、謝罪とともにお送りしました。
このあきらめない精神と謝罪のタイミングを逃すと次がない!と必死の行動に出ている私に周囲はびっくりしていましたが、社長がお留守の間にしなければならないことが山ほどありましたので、考えている暇もなく仕事に取り掛かかったのでした。
秘書の時の私には宝塚歌劇団時代に培った経験を活かせることがたくさんありました。
ここの会社ではいろんな部署の秘書業務につかせていただき、つく人によって秘書業務も違えば求められるものも違うんだと感じました。
宝塚歌劇団卒業後の最初の社会人経験としてはなかなかハードな職場でしたが、これも宝塚歌劇団での厳しい教えと躾けがあったからこそだと思っています。
この会社では3年半お世話になり、秘書業務経験というスキルを手にした私は次なるステップアップにつなげることができました。
秘書は通常であれば社内の事務経験を積んだのちステップアップとして社内公募で秘書に昇格というパターンの会社が多く、新人ができる仕事ではありませんが、このユニークな社長のおかげで私は社会人としての一歩を踏み出すことができました。
社長には本当に感謝しています。
おまけ
3年半仕事をした後、私は新しいことをしたいと会社を辞める決意をしました。
出社最後の日にお花を準備し、社長室に持っていきお礼とご挨拶をしました。
いつも怒った顔と笑顔しか見たことがなかった社長がお別れの挨拶の時にぽろっと涙を流してくれました。
それを見て、私は感謝で胸がいっぱいになりました。
一代で会社を築き上げ社員の生活を支えなければならない社長のお仕事。
秘書はそれをお側でささえるお仕事です。
社長付きの最も近い秘書ではなかったので細部までは知りませんが、きっとたくさん人に言えないこともされてきたことでしょう。
新人の私が働きやすい場所を用意してくださった社長のことは今でも覚えています。
本日は宝塚歌劇団で身に着けたことが、実生活に役立ったというお話をしました。
厳しい環境で育っているだろうからという期待を込めて採用してくださることもあります。
ただ、目の前の業務をしっかりとこなさなければ、宝塚出身なのにそうでもないのね?ということにもなりかねません。
いいことも悪いこともありますが、それも自分次第ということですね。
本日もありがとうございました!