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このブログを読んでくださっている方は何らかのタイミングで気くばり・心配り・相手のことを考えた行動をとりたいと思っていらっしゃる方が多いかと思います。
今日は私の失敗談から具体的にどういったことを意識すればよいのかをお伝えいたします。
第三者目線で見ること
気くばりや気遣いをするとき相手のことだけ考えていませんか?
そしてそれが実は自己満足であるケースも非常に多いのがこの落とし穴です。
今この言動をとると、相手がどう思うのか?この言動は今この場にあっているのかということを考えて、まずすぐに言葉を発してしまわない、すぐに行動してしまわないということです。
たとえばこれまた宝塚音楽学校での予科生のときの出来事になりますが、
電車で座ってはいけないルールはありませんので、買い物帰りの休日座席に座っていたのです。
発車前に本科生が乗ってこられました。
私は急いで席を譲ろうとしましたが、その本科生はいいから座っててと言ってくださいました。
心の中は複雑です。
そもそも満員になってきた電車で席を立たなかったことに深く反省していましたが、上級生を目の前に座っていても落ち着きません。結局強引に途中で降りる顔をして席を譲りました。
寮に帰ってから、その本科生と一緒にいた別の本科生の方からご注意をいただきました。
席を譲ってくれたのはとてもありがたかったのだけれど、周りから見たら本科生が予科生に席を譲らせているという風に見えてしまうの。
お客様から見た目線も考えて行動しようね。
はっと気づきました。
私は上級生に席を譲らないと!という自分本位な考え方でした。確かに私から見たら上級生ですがもしかしたら第三者の中にはもっと上級生もいるかもしれません。
宝塚の卒業生である大先輩から見たとしたら、本科生なんて劇団員にもなっていない半人前の立場なのです。その半人前が下級生に大きな態度を取っているように見えるかもしれません。
それは、結果的に本科生のその方の立場を悪くしてしまうことになるのです。
常に俯瞰でその場を見なくてはならないことを学びました。
普段の生活から清く正しく美しく
宝塚のファンの方、上級生、OGは世の中にたくさんいます。
本当にどこで誰が見ているかわからない!と思ったことはたくさん経験があります。
噂話というのは責任感なく広がっていきます。元をたどればたいしたことではなく、
え?あれがそんな風に回ってしまうの?
ということなんてザラにありました。
火の気のないところに煙は立たないと言いますが、芸能関係のお仕事においては煙は立ちます。
そのぐらい誤解されるような言動は少しでも避けなければならないということです。
こういった意味でも“常に人に見られている意識”を持つことは非常に重要になってくるのです。
タカラジェンヌとは言え、普通の人間です。
息もすればご飯も食べますし、トイレットペーパーだって買います。笑
そして当時は20代。遊びに行きたいし恋愛だってしたい!そんな気持ちもありました。
実際にお付き合いをしている人だってたくさんいました。
でもそれは非公開。一緒に歩くことも極力気を付けます。
これは自分だけが傷つくのであればそれでいいのですが、タカラジェンヌ全体に、そして宝塚歌劇団の看板に泥を塗るようなことになってしまいかねないからです。
これは一般の企業や組織でも同じことが言えます。
その意識は実際に痛い目に合わないとわからない人もいますが、会社であれば収益にもかかわってきますので注意が必要ですね。
一番簡単なことは、普段の生活から堂々とできることをすることです。
自分に誇りを持ち自分自身が胸をはって生きられる努力をすること。
自分を好きになるまで努力をすること。
タカラジェンヌが自信に満ち溢れて美しく見えるのはこの陰ながらの努力があるからかもしれません。
毎日自分のコンプレックスとの闘いですから、トップさんでも悩みはありますし自信があるわけではありません。
芸の技術だけでなく、こういったメンタル面・日頃の生活でも誰しもが努力をしているのです。
教養は自分を助ける武器
私は茶道が好きです。
小さいころ母に連れられて茶道で出てくる和菓子目当てで通っていました。
毎回どうしてこんなに覚えられないんだろう・・・手順がなかなか覚えられず素質がないのだと思っていました。
お師匠さんである先生は、毎回のお稽古で同じことを何度も何度も教えてくださり、申し訳なく思いつつもやはり覚えられませんでした。
大人になって茶道をする機会があり、素質がないと思っていた茶道を再開しました。
なんと、一度言われただけで体が覚えていたのです。あれだけ毎回できなかったのに。
姿勢も所作もすべてほめていただきました。
自分の意識とは別に体が覚えていたのですね。
芸事の世界に終わりはありませんので、私は今ようやく入門に立ったところです。
ある日茶道のお茶会にお呼ばれしました。
いい機会だったので出席させていただくことにしました。
茶道の世界のことは語れるほどのものではありませんのでここでは割愛しますが、お茶会に出て初めて日頃行っている茶道のお稽古とのつながりがわかりました。
客人に一杯のお茶をおいしく召し上がっていただくためにどうするか?
これらを亭主は考え、さまざまなしつらえをしておもてなしをします。
そこには今日の日のために時間をかけて準備をしないとできないことがたくさんあり、それを招かれた私たち客人はそっと察することができるのです。
客人は、亭主がもてなしてくれる心に感謝の気持ちを感じお茶を一服よばれます。
作法はなかなか身につかないと思いますが、この感謝の心というのを学ぶことができます。
お茶室では刀を持ち込むことができません。現代でいうとアクセサリーなどはすべて外して入室します。
つまり客人に武器や肩書は何もない状態でみんなが平等の立場になり上下がなくなります。
どんなに有能な経営者や著名人であっても作法を知らなければ恥ずかしい思いをしますし、長年茶道をたしなんでいるとすれば肩書がなくてもここでは堂々とお茶をいただくことができるのです。
私が知っている超重役の方は茶道の心得がある方が多いです。
それを見ると、超一流になりたければ教養として身に着けておくスキルの一つだと思います。
今回は、私の失敗談から学ぶ気くばりのポイントについてお話しました。
教養については深く別の機会で触れたいと思います。
ではまた次回のブログでお会いしましょう♪
おまけ
お茶会の席では上席の客人を正客(しょうきゃく)と呼び、一番いいお席に座ります。
正客は作法を知っている方でないとできないので、ご年配の方が多いのもうなづけます。
お茶の前にお茶菓子を呼ばれますが、お運びさんが菓子器をもってきてくださるのですが、客人は右側が上席になりますので右からお菓子が回ってきます。左の方にお先にと伝えいただいていくのです。
あるお茶会に出席したときに、たくさんの方が茶席にいらっしゃったので菓子器も3か所ぐらい持ってきてくださいました。
左側に行くにつれて素人になっていきますので、まだ作法の心得がなかったのでしょう。その方のお気持ちで自分がお菓子をいただいたあと、まだいただいていない右側の方に器を回してしまわれたのです。
私はその時真ん中の席に座っていましたので、左右からお菓子が運ばれてきて、私の前にお菓子器が渋滞。2つも並んだことがありました。
菓子器をさげにこられたお運びさんがきょとん?あれれ?という構図になりました。
作法を知らないとこういうことになってしまうわけです。
必ずしも茶道の心得を持たなければならないとは言いませんが、お立場があればあるほど持っていた方がいい知識かなと個人的には思った瞬間でした。
お饅頭は丸いので転がります。
お懐紙の上で上手に食べる方法うmも慣れていないと難しい出来事になります。
コロコロっと目の前にお饅頭がころがってきた一面もあり、それらを見て、私はあらためて茶道の作法は絶対に身に着けたい!そう思うようになりました。
お懐紙の上でうまく切れなかったのですね、弾いて転がってきたのです。笑
静粛な場ほど面白いことが起きてしまい、笑いをこらえる自分にまた笑ってしまうそんなひとときでした。
初心者あるあるですね。
プチエピソードでした。