芸事の世界には終わりはありません。
バレエもダンスもそして日本の伝統文化もどんなにベテランのお師匠さんでも毎日芸を磨きます。
ここまで出来たら完璧というのはこの世にあるのでしょうか?
何事においてもクオリティの追求に限界はないと思っています。
できないなら人の何倍も努力をする
私は3歳からクラッシックバレエをしていると以前のブログでお伝えしましたが、バレエ学校の中では体が硬くバレリーナに適した体型でもなく、足の甲も高くない。トウシューズを履いても美しい甲がでない子でした。
週に1回のお稽古に行っている小さいころはそれでもよかったのですが、だんだん周りと差がついてきます。
発表会でもらえる役もだんだんと差がついてきます。
週に2回、3回と本部教室だけでなく支部教室にも通うようになり、最終的には週4~5回のバレエレッスンに通うようになりました。
バレエ学校では「先生のおきにいりメンバー」というのが格付けられてきます。それに選ばれたくて必死で努力しました。
幸いにも、私は常にそこに入ることができましたが、そのメンバーの中ではほぼ最下位。その時から、落ちこぼれになりたくなければ、人の倍・それがだめなら10倍・20倍の努力をしなければならないことを知りました。
陰の努力がない人はいない
バレエ学校で当時仲の良かったお友達は
体が柔らかくて、足も上がる。
背中も柔らかいのでアラベスクも美しい。
ジャンプしても開脚が美しい。
そんな子でした。
どうしたらあんな風になれるのだろう?生まれつき体の柔らかい人はいいな・・・そう思っていました。
ある日のこと、彼女のご自宅にお呼ばれして親子で遊びに行った時のことでした。
夕食の支度を待っている間に、彼女はトウシューズを履き、踊り始めたのです。
「もう、毎日これよ。暇があったらこうやって踊ってるの」とお母様。
母と私は顔を見合わせ、少し苦笑い。
彼女はバレエが好きで好きで毎日トウシューズを履いて踊っていたのでした。
彼女の家は一軒家で、楽しそうに毎日踊っているということを知った私は帰り道にとても悔しい気持ちになり、
「お母さん、うちもあんな床にできないの?鏡とバーが欲しい!私も毎日練習する!」
そう言っておうちの改装をねだりました。
一人っ子の私の夢を叶えてくれた両親は、フローリング工事と全身が見える鏡にバーレッスン用のバーを買ってくれました。
マンションなのであまり飛び跳ねるパはせず、それ以外のことを毎日練習した結果、先生のお気に入りメンバーに入ることができるようになりました。
努力は決して裏切らない
努力で身についたものは絶対に自分を裏切りません。
社会人になってつい忘れがちですが、やはり圧倒的努力量はこの時より減ってしまったかもしれません。
私は生きていく中で、大概のことは努力で何とでもなると思っています。
普通に練習して人より抜きんでてうまくなりたければ、人と同じことをやっていては結果はそれまで。自分の実力・キャパシティを知るのは非常に重要ですが、子供のころに限界値は設けずにどんどん壁を突き破っていくべきだと思っています。
何の努力もせずにできる人・得意な人は意外といない気がします。
本人が努力と思っていないので、努力していないと言っていても実は陰で血のにじむような努力をしていたり、涙をこらえて踏ん張っていたりするものです。
そして、本当に何の努力もしていなくてもできる人がいたとして、どんなに頑張ってもかなわないとします。
でもそれはそれでいいのです。
いちばん重要なのは、その努力によって少なくとも自分の実力は上がっています。できなかったことができるようになっているのですから。
自分が努力したことは自分の自信になり糧になりますので決して無駄にはなりません。
そう考えると不器用で何も特技がない・・・は実はめちゃくちゃチャンスってことにもなりますよね。
限界の少し上
全く無知なものに挑戦しているとき
スケジュールが過密すぎて倒れそう
もうこれが限界だ・・・
そう思ったとき、私はチャンスだと思っています。
このもう限界だ!と思う瞬間というのは今の自分が思っている限界です。
ではあと1ミリでもその限界を超えることができたら、自分のキャパの記録更新ができるということなのです。
私はこの「もう限界だ!」の瞬間が実はけっこう好きなのです。
あ、私またレベルが上がる!
ついそう思ってしまいます。
だから、皆さんにも自分の限界を決めてやめるということをしてほしくないなと思います。
次に同じようなことが来た時に確実にこなせる自分ができあがるわけですから。
ハードであればあるほど、いい思い出につながります。ぜひ大きな壁と波を超えてほしいと思います。
宝塚音楽学校に一定の基準に合格してみんなが晴れてタカラジェンヌの卵としての道を歩むわけですが、みんなそれぞれに得意・不得意があります。
どうしてもできなくて泣いてしまうこともありますが、できている同期は小さいころに倍以上の涙を流して努力してきたから今があるのです。
それを思うと泣いている間はなく、その一滴の涙を流している間も惜しんで芸事に励む時間に充てるべきなのです。
厳しいことを言いますが、人生は不公平で不平等です。
みんな同じスタートをきれるわけではないのです。
だから、今この瞬間から努力をすべきだと私は思っています。
このブログを書いていて懐かしくてあの頃を思い出しました。
すみれの花咲くころの歌を流して、コーヒーでも飲み今日は終わりたいと思います。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
おまけ
本日も「ガラスの仮面」ネタです。
主人公である北島マヤのライバル姫川亜弓。映画監督の父と女優を母に持つサラブレッド。才能と美貌に恵まれ、自宅はばあや付きの大豪邸で臨んだものはすべて手にすることができる。なにひとつ不自由はない。そんな彼女がどんなに努力してもかなわない相手が北島マヤ。
悔しさにハードな練習を重ねる姿を描いたシーンが何度も出てきます。
周りから見たら、圧倒的に姫川亜弓のほうが勝っているように見えるんですけどね。
本人は納得しないのです。
私は亜弓さんのような実力は持ち合わせてはいないけれど、なぜか共感。笑
その人にはその人のライバルがいて、そして自分という最大のライバルと戦っているんだろうな・・・と思って読んでいました。
こんなお嬢様なのに、また性格がすこぶる良い。
天は二物以上のものを与えるようですね。
それではまた続きは明日のブログで。