テレビや新聞・ニュースなどで報道されるものと言えば、たいてい不幸なニュースがほとんどです。
時々おめでたい話もありますが、だいたいがスクープ。
そしてあれほど輝かしい人生を送っていた人は今どうしているのか?
転落人生などがあろうものなら、人は喜んで話題にします。
自分の不幸や悩みはむやみに人に話しても、よっぽどの親友ではない限り人の不幸は密の味なのです。
相手からするとごちそうの話題です。
元タカラジェンヌの前に立ちはだかる社会の厳しさ
相手の幸せを願っておめでとう!!という一方で
どうしてあの人だけがいい思いをするのだろう・・・とよくない波動がうごめくときがあります。
人の嫉妬心や怨念というものは実際に存在するもので、人には悪が住み着くときもあるのです。
単純に人の不幸は密の味ということでみんなの話題に上りやすいものをメディアは取り上げます。
タカラジェンヌも然り。
宝塚歌劇団を退団後の進路はみんなが気になるところではないでしょうか?
もちろんファンであればいつまでもその方のお姿を見ていたいと思うので、退団後もメディアに出てほしいと思うのは当然です。
現状は宝塚を退団した後というのは、本当に一人で大海原に出ていくようなもので、正直頼る人もいなければ頼るものもありません。
いったん休憩して、さあどうしようか?
そこから考えることが多いです。
社会に通じるスキルもありませんし、パソコン業務も一から覚えなければならない。
一般社会と自分の価値観の違いにもびっくりすることだらけです。
元タカラジェンヌなら引く手あまたではないのですか?
どうしてこんなところに?
などと就職先に履歴書を持っていってはこのようなことを言われました。
思ったままを言われているのですが、こちらとしては自分が何の価値もない人間になったような気分になり落ち込んだこともたくさんありました。
一般社会に出ると何の価値もないのです。
宝塚では毎日化粧前に座って美との闘いです。
四方八方美しい人ばかり。
自分もそんな環境の中でこそ通用していた部分があるのです。
照明が当たるステージに立つ機会もなくなり、人前で何かをするということがない人生。
ある意味、元タカラジェンヌが味わう一番つらい時期でしょう。
だんだん自分がおブスになっていって曇ってきている気がする・・・。
不安でいっぱいになります。
退団後誰しもが一度は味わうこの時期ですが、Webで検索するといろいろ記事が出てきます。
みんな苦労して努力して這い上がっている、そんな一面が描かれているように思います。
タカラジェンヌ時代で学んだこと、身につけたことは必ず今後の社会で活きる!
そうは思っていても、やはり直面するときにはこの人生でよかったのかな・・・と悩むこともありました。
プロは何かしらの退路を断っている
私個人の意見になりますが、プロを目指すということはある意味“退路を断つ”ということでもあります。
宝塚を退団した後のことを考えながら入学する人はほぼいないので、夢に向かってただひたすら精進することだけを考えて挑む。
退団するときは、振り返ることなくただ走り続けた自分の軌跡だけが残っています。
宝塚歌劇団を目指す時点でいろんなことを断ってきたように思います。
これはプロを目指す方なら当たり前のことで、ただ一つ、それだけを目指していかない限りは手に入れることなんてできないのです。
必ず何とかする強い意志を持っている
すべて経験で、経験に勝るものはこの世にないと思うぐらい大切なことだと思います。
泣いて、迷って、悩んで、そして実行する。
これの繰り返しです。
舞台で絶対にどうにもならないだろう!ということでもなんとかしてきた、その精神をここで発揮させるのです。
タカラジェンヌは清く正しく美しく育っており世間知らずなので、退団後よからぬ人に騙されたりすることも多いです。
そしてどんなにいい人でも、どこかでタカラジェンヌに嫉妬していますので、あの人がそんな・・・というようなこともたくさんありました。
タカラジェンヌという立場を利用していろいろと話しを持ちかけてくる人たちがたくさんいます。
少し悲し言い方にもなりますが、信じられるのは自分だけ。
自分をしっかりと律していくことが大事になります。
自分に寄ってくるのはハエかミツバチか!?
これはタカラジェンヌだけではなく、モデルや華やかな雰囲気を持っているいわゆる美人とされる人に多いのですが、魔物は四方八方から狙ってきます。
特に愛嬌があり、人脈をたくさん持っていそうな人にはどんどん寄ってきて片っ端から利用しようとします。
本人にはその気がなくても虫が寄ってきやすいのです。
でもよくその虫を見てください。
花にはミツバチ、汚物にはハエですから。
寄ってくる虫の種類によって、今の自分が花なのか汚物なのか・・・
そこまでは少し言い過ぎですが、ミツバチを寄せていきたいものですね。
自分というものがしっかりと軸としてできあがり、凛として生きていくことができたなら、周りの人に流されることもなくなります。
私もまだまだ自分と向き合うべきところはたくさんありますが、2022年もひとつずつ頑張っていこうと思います。
昨日のブログでお伝えした
はっけいなおみがくべし
もう磨きどころがないほどの完全無欠の玉でさえ、さらに磨くという教え。
でしたね。
人生の幕を閉じる日まで磨いていきたいと思います。
目指せ、気くばり美人道!
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた次回のブログでお会いしましょう♪