芸事は謙虚さを忘れてはならない

愛され気くばり美人道

 

芸事を学んでいてよくあることは、ある程度できるようになると自分はもうできていると勘違いしてしまう人がいることです。

人によりますが、劇団員として3~5年目の時期が一番私は気が緩みました。

音楽学校に入学したときは何もわからずとにかく一つ上の上級生である本科生の言うことを聞く。

そして本科生で学校では先輩になる。ある程度自由に自分のおしゃれも楽しむことができる。

憧れの劇団員としての生活が始まるが、同時に振り出しにもどるかのように最下級生になる。

忙しい毎日です。

次の年にはまた一つ下の学年を必死で教育しなくてはならないのですから。

 

ところが3年目からは上級生とも少しお話ができるようになり、まだまだ新人の域も抜けないところではありますが、舞台経験も少し出てきます。一番下のお仕事もなくなり少しだけ余裕が出てきます。

 

劇団員になっても、劇団レッスンというのがあります。

お稽古は通常13:00ごろからが多いので、午前中はレッスンに出ます。

音楽学校と違って、必ず行かなければならないものではありませんが、舞台人たるもの毎日のトレーニングを怠ることがあってはいけません。

でもここからは本当に自由なので、どうしてもさぼってしまうこともあります。

個人的にレッスンに通うこともできるので、人それぞれトレーニングの仕方はまちまちです。

が、やはり演出家・振付家の先生は見られています。

 

私は一度振付家の先生に振付の時にお叱りを受けたことがあります。

最近は劇団レッスンにも来ないで何してるの!?

トレーニングしないでできる立場ではないでしょう?と。

 

今から思えばあの時は気が緩んでいたなと思います。

やらなきゃやらなきゃと思っていてもついつい人は甘いほうに引っ張られがちです。

役らしい役が回ってこずセリフもない日々。

それでもしっかりと前向きに取り組むべきでした。

 

人生はいつも自分の思うようにはいかない

私の経験上の話にはなりますが人は弱い生き物です。

あらためて規則正しく規律の中でかためられているからこそ、頑張れることもあります。

自由が欲しいとかお休みが欲しいとか思うこともたくさんありましたが、自由ということこそ自己管理を徹底して行わないと楽な方に逃げ来てしまうものだなと思いました。

 

これはのちにアメリカに留学した時に改めて思うことですが、自由の良き半面自分の軸が試されることでもあります。

 

私たちの時代は宝塚大劇場の公演と東京大劇場の公演の間にお暇があって、その間にバウホール公演・大阪ドラマシティ公演・そしてディナーショーなどのお仕事がありました。

でもいつもこのどれかに入るとは限りません。

当然同期は出ているのに、自分だけどちらにも出られないときもありました。

 

香盤は成績順かのように見えますが、時にそうでもない場合もあります。

自分の前まではみんな出ているのに・・・と何とも言えない悔しさで同期とも少しぎこちない雰囲気が流れたりします。

 

宝塚の世界はもちろん人生は不公平で不平等にできていると思います。

私はこんなに頑張っているのになぜ?という気持ちを経験していない劇団員なんているのでしょうか。

おそらく頑張っても頑張っても報われない日々もありますが、そういう時期もあるものなのです。

だからこそ、選ばれたときに絶対頑張ろう!となります。そんな経験は一度や二度は必ずあると思います。

 

評価は他人が決めること

できている、頑張っている、そう思うのは自分基準です。

お客様が見て、演出家が見て、それこそまわりの上級生・下級生・同期が見て自分はどう映っているのか?が評価基準になります。

このころから常に人からどう見られているか、自分の言動は人から見たらどう映るのか?をさらに気にするようになったんだと思います。

俯瞰して物事を見ることができないと、井の中の蛙と同じです。

自分が頑張っていることなど、人はわかりませんし、わかってもらう必要もありません。

お仕事は結果がすべて、それが厳しいところです。

 

これは宝塚に限らずすべてのお仕事に共通します。

頑張っている人だけが評価されるのであれば、それはお遊戯会です。

お遊戯会は上手にできなくても努力して頑張ったことも評価する場になりますのでみんなで楽しく行います。

 

若いころは、本番にはちゃんとするけど、今はお稽古だから・・・

と手を抜いているわけではないですが、そんな思いもありました。

でも自分が上級生になると、その気持ちはなくなり、お稽古場から本番通りにするぐらいでないと本番でできるはずがないと実感しました。

 

本番に強いという言葉はあります。

確かに私もその一人です。

本番になるとスイッチが入ってうまくいったりします。

でも後々よく考えると、それは必死で練習を重ねているからです。

ウォーミングアップを十分にして、大丈夫!という気持ちになると気分はあがっています。

舞台に出るときに緊張せず出るときはありませんが、不安はありません。

だからこそ、本番に強いという言葉が出るのです。

 

舞台に完璧はありません。

ですが、本日のベストを尽くせた、自分なりのベストを尽くすことはできます。

1か月半の舞台で今日より明日、明日より明後日、初日より千秋楽のほうがいい作品が出来上がっているのがベストです。

舞台はなまものですから、毎回違わないようでその時しか見られないものがあります。これが醍醐味ですね。

ただし、テンション・自己管理は本当に大変でハードなものです。

 

 

さいごに

小学生のころからピアノ教室に通っていました。

これは宝塚を目指そうと思う前からです。

このピアノ教室ではバッハインベンションが弾けるレベルにならないと発表会に出してもらえませんでした。

やっと発表会に出ることになったときに、先生から毎朝起きたら顔だけ洗ってすぐにピアノに向かい発表会で弾く曲を録音しなさいと言われました。

その状態が一番本番に近いから、そこで間違った場合は、本番も同じように間違える場所だからと。

 

一曲通して弾いて満足感を得たくなりますが、日々のお稽古は通さず部分練習ばかりでした。

これぞ、できた気になって目の前の練習をおろそかにするなということだったように思います。

この方法は、いまだに行います。

 

いくつになっても、芸事においては“自分ができているという気にならないこと”を大切に思うこ都が必要ですね。

初心に帰れる何かをみんな持ち合わせています。

そしていつも自分と向き合い、傲慢になっていないか、この態度は実は傲慢というものだ・・・と振り返る余裕がなければ間違った方向に行かないとも限りません。

 

仕事においてもそれが当てはまります。

自分の今携わっている仕事に対して自分は謙虚に向き合えていれば愚痴などでないはずですし、私もさんざんこうだったらいいのに・・・など愚痴ってきましたが、これは自分でどうにかなります。

自分が変われば周りは変わります。

 

自分なりのメソッドは持っていたいものですね。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました!!

また次回のブログにてお会いしましょう♪

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